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仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)

仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_844844.jpg仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_8442836.jpg

仙台仙台たのしい仙台あ仙台仙   
  城下の南西、青葉城のむかいに、広瀬川はさんで位置する小丘=経が峰は、伊達家の霊園であります。伊達藩開祖・政宗の廟建築=瑞鳳殿は、見事な桃山様式ですが、残念ながらここも昭和20年の戦火で全焼しており、今の建物はその後の再建によるものです。とはいえ、FM局までDate FMにしてしまう仙台人の伊達愛によって、往時の華麗さを目にすることができます。左上は瑞鳳殿へ向かう参道の階段。霊場の趣が漂い、敬虔な気分を高めてくれます。右上、左下、右下はいずれも瑞鳳殿。中世から続く長い伊達家の歴史の中で変転した、竹に二つ雀・九曜紋などの家紋が扉に刻まれています。墓とは思えない絢爛豪華さ。再建ではありますが、場所の雰囲気も含めて、城下町・仙台を感じることができる素敵なエリアでした。江戸からの入口にあたるこの山で、自分が作り上げた城下町の守護神たらんとした政宗の気概を感じてしまいました。戦国の世を生き抜いた彼は、南から侵攻してくる敵といつか子孫が戦う日が来ると思っていたのではないでしょうか?仮想敵・徳川が滅び、平和のうちに繁栄し続けた城下町が、まさか支倉常長を派遣した海の向こうからやって来た戦闘機に自分の墓もろとも焼き尽くされるとはさすがの政宗も想像できなかったでしょう。

仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_8451567.jpg仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_859457.jpg

仙台仙台たのしい仙台あ仙台仙   
 左下の2つの霊廟は、2代藩主・忠宗と3代綱宗のもの。2代目は徳川への忠誠のために東照宮を造営しました(下中・下右写真)。ちょうど経が峰の対角線上、仙台の北東・鬼門に建てたのですが、大崎八幡宮と同様に戦火をくぐり抜け、仙台で数少ない江戸初期の姿を見ることができます。歴史の皮肉ですね。また城下町北方の北山には京都に擬えて、米沢や高畠など伊達の旧領にあった菩提寺を5つ移してきて、北山五山と呼んだそうです。いざという時の北の備えとしたのでしょう。ここも火災で昔のものは失われてしまいましたが、丘陵地に転々とお堂が並ぶ様子や江戸初期のままの輪王寺山門などに昔の風情を偲ぶことができます。
仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_8463242.jpg仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_847843.jpg仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_847315.jpg仙台・経が峰と東照宮 SENDAI(KYOGAMINE&TOSYOGU)_b0099809_8485793.jpg
# by shiromania | 2006-05-18 08:49 | 日本・東北&関東地方

仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)

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 戦災のため、江戸時代のものはほとんど残されていない仙台ですが、そんな中で唯一 1609年に建てられた時の姿をとどめ、伊達政宗時代の仙台を偲ばせてくれるのが、大崎八幡宮であります。大崎八幡宮は、町の北西はずれ、山形への街道の傍らの小丘にあります。城下町との微妙な距離感故に焼け残ったのでしょうか。最古の桃山建築という触れ込みでありましたが、竹生島に残る伏見城の遺構は?とか???要素もありつつも、華麗かつ荘厳な本殿は国宝に相応しいものと言えるでしょう。黒漆塗りをベースに、極彩色の彫刻を装飾に使用したその造りは、日光東照宮に先駆けて造られたことを思うと、政宗の気合いに驚きます。これを見て、同じ工人が手がけた、仙台・青葉城の本丸御殿も連想したくなります。一見の価値は絶対あります。
仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_9451210.jpg仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_9453695.jpg








 朝一番に出かけたのですが、ちょど神主さんや巫女さんが朝の礼拝中で、そんな中も地元の人たちがひとりふたりと熱心に拝んで行かれます。いまだに土地の人々から敬愛されていることが伝わって来ます。
 参道はとても長くて立派でした。狛犬はアルカイックで可愛らしくないですか?右端礼拝殿のぼり口の宝珠には慶長の銘が刻まれているそうです。

仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_946137.jpg仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_9463564.jpg仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_9474622.jpg仙台・大崎八幡宮 SENDAI(Osaki Hachiman)_b0099809_948039.jpg
# by shiromania | 2006-05-17 09:30 | 日本・東北&関東地方

仙台・青葉城 SENDAI Aoba Castle

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 仙台は、中世・鎌倉以来の名門でありながら、稀有な戦略家でもあった戦国大名=伊達政宗が、計画し作り上げた城下町です。訪れる度に彼の意志を感じるし、彼がどこかで見守っているような気分になるって言ったら少しオーバーでしょうか。昭和20年の戦災でそれまでの街並みはほとんどが灰燼に帰したため、近江八幡で感じたような城下町らしい趣はほとんどないのですが、わずかに残された遺構からでも政宗が仙台に賭けた情熱が篭められているように感じてしまいます。仙台に住んでる人たちもそういう気分があるからなのか、以前に訪れた時よりも伊達時代のものが色々と復元されたり、補修されたりしていました。
 まずは上の写真。青葉城本丸下の高い石垣です。前はちょうど補修中で覆われて見えませんでしたが、見事に補修が完成していました。土垣が主流で石垣が少ない関東・東北で、これほどのものを築いた気合と見得は、まさに「伊達の薄着」の語源となった気概?高石垣上の本丸から見た仙台市街(右下写真)も胸がすくような眺めです。ここに清水の舞台のような構造の建物を迫り出して造っていたというのも"伊達”じゃないですか?
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 左の写真は復元された隅櫓 左  左の写真は復元された隅櫓ですが、ここに九州の名護屋城から移築されたという説もある、華麗な大手門がどっしり構えて、城下町から広瀬川を渡ってきた者を威圧的に出迎えていたそうです。
 本丸には護国神社がありそのすぐ横に有料の資料館しかなかったのですが、石垣の復元展示(左下写真)などもある無料の見聞館という新しい資料館ができて、ちょっとした戦争が起こっておりました。大手門と本丸の間にある中門跡の石垣も補修と清掃が行われたらしく、すっきりきれいな状態になっておりました。大手門から本丸までは徒歩で登るのにちょうど心地よい距離ですが、傾斜はやや急です。復元隅櫓左手前にある博物館は、三の丸の跡で、かつての堀と大きな土垣が観察できます。(右下写真)
仙台・青葉城 SENDAI Aoba Castle_b0099809_9192828.jpg仙台・青葉城 SENDAI Aoba Castle_b0099809_9195119.jpg仙台・青葉城 SENDAI Aoba Castle_b0099809_9201286.jpg
# by shiromania | 2006-05-17 09:00 | 日本・東北&関東地方

近江八幡

近江八幡_b0099809_23434542.jpg近江八幡は、近江商人で有名なので、城下町というイメージが私の中ではありませんでしたが、機会あって訪れてみたところかなり風情のある城下町でありました。とは言え、近江八幡城が存在したのは、豊臣秀吉の甥=秀次が築城してから10年だけ。

近江八幡_b0099809_23441852.jpgしかし西川家をはじめ有力な商人が出現し、徳川幕府も保護したため、町自体は江戸時代を通して繁栄したようで、現在も残る、古くて立派な町家がそうした歴史を物語ってくれています。一番上の写真は、そんな古い家並みが残っている新町通り。

近江八幡_b0099809_23444832.jpg背景の山頂に秀次の八幡山城があったのですが、今はロープウェイで登ることができて、秀次の菩提を弔う瑞雲寺が城の石垣を利用して建てられているそうです。今回は時間がなくてこちらはチェックできなかったのですが、山麓にあった秀次の館跡は市立図書館の裏手を少し登ったところにあったので見てきました。(整備中で柵がありましたが。)最近、荒れ果てていた山麓の館跡が発掘され、秀次館跡の石垣が写真のように見られるようになっています。


 琵琶湖への水運に役立てるべく、秀次が命じて掘削した八幡堀は、現在は水郷めぐりの観光用の小舟が往来していますが、城の外堀でもあったそうです。八幡山は南は八幡堀、西は琵琶湖、東は西の湖という湿地、北は長命寺川と、南側以外は天然の要害という立地になっていたのです。スケールの大きな縄張りや堀の掘削、楽市楽座といった商業振興策など、秀吉が流布した「殺生関白」というバッドイメージとは違った秀次の人間像が近江八幡の人たちにとっては常識のようです。
  八幡堀と豪商西川家の住宅が、往時を偲ばせてくれる、趣き深い街でした。江戸時代に城下町でなかったことで、明治に政治の中心地にならず、そのおかけで城下町らしさを今に残しているんだと思います。次に行く機会があれば是非とも山頂の城をチェックしたいところです。ちなみにTMレボリューションの西川貴教氏は近江八幡の出身だそうですが、この豪商一族の末裔なんでしょうかね。
近江八幡_b0099809_0211330.jpg近江八幡_b0099809_0214390.jpg近江八幡_b0099809_0221124.jpg近江八幡_b0099809_0272478.jpg
# by shiromania | 2006-05-17 00:22 | 日本・近畿地方

高松

高松_b0099809_12279.jpg 高松城は日本で最初期の美しい海城です。
 左の写真は、月見櫓(着見櫓)ですが、かつては櫓の下の石垣を波が洗い、櫓の隣の門は海に開かれた船着場の水の手門だったようです。現在でも道路一本はさんで瀬戸内海が迫っています。この月見櫓、昔の姿のまま、海を眺められる場所に残っているのですが、海から高松にやって来た人たちはこれが見えた時にはその美しさに溜息をついたのではないでしょうか?現在残る城郭建築の中でももっとも好きなもののひとつです。
     
高松_b0099809_1224149.jpg出窓や飾り屋根の具合も優美な感じがしませんか?

 高松城は残念ながら天守閣は残っていませんが、この月見櫓ともうひとつ櫓が残っており、どちらも三重ですが、スリムなのとドッシリしたのとタイプが違っていて、各々とても美しいバランスの建物だと思います。そちらの櫓もかつては海側にあったのですが、現在は移築されて南東の隅にどっしりと腰を落ち着けております。どの角度から見てもそのドッシリ感のバランスが絶妙なんですよね。壁の白漆喰も美しさを引き立てます。天守閣は小倉城のような最上階が突き出した南蛮造と呼ばれるもので、これまた美しかったことでしょう。

高松_b0099809_1231874.jpg 高松城は内堀も海水です。本丸の天守台まわりの堀は幅も広く、内海に浮かんだ小島のようです(写真右下)。橋も長いです。海水の取水口が今も残っており、とにかく海城としてのキャラクターの強い城なのでした。町自体はずいぶん都市化して古い城下町の面影はあまりありませんが、郊外にある藩主別邸の庭園=栗林公園も有名な観光地となっており、そちらも是非一度訪れてみたいものだ。讃岐うどんは駅前の屋台で食べてもおいしいかったです。
高松_b0099809_2247395.jpg高松_b0099809_22472247.jpg高松_b0099809_22473879.jpg
# by shiromania | 2006-05-16 12:52 | 日本・中・四国地方